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刹那

2010年12月01日 07:28

昨日無事にお葬式、火葬、納骨が終わりました。


朝、10時からお葬式。
柩は、火葬場では開けられないとのことで「これがお姿を見れる最後の時間です」と言われ、ベッドに静かに眠るおばあちゃんにそっと寄り添いました。


本当に今にも起き上がりそうなくらい、綺麗な顔立ち。
亡骸とは思えませんでした。


柩には、何も物はいれませんでした。
でも、燃えてなくならないものをいれました。
それは、私がおばあちゃんに対する愛情です。


どんな業火にも勝る愛情…天国に逝っても感じていて欲しいと祈りながら。



そして火葬場へ。
おばあちゃんは、ゆっくり…ゆっくり…これから燃え盛る炎に包まれにいかれました。
扉が閉じていくのを眺めていて、込み上げる思いに耐えきれず、号泣しました。


待つこと約2時間。
長かった。
色々考えました。


おばあちゃんのお骨になった姿が現れ始めた時、最初はもう涙で見えませんでした。
いや…直視出来なくて、現実を受け入れられなくて、目を閉じていたというのが正しい…


でも、そんなわけにはいかない。
しっかりしなきゃ、と…自分に言い聞かせながらゆっくり目を開けました。


もう…なんて表現したらいいのか、分からない。
言葉では言い表せられない。

ただ、骨壷におばあちゃんのお骨を入れながら「ここの部分はこんなだったな」と思い出していました。


そして、最後は顔の部分。
おばあちゃんの笑顔を思い出しながら、入れていきました。


そして、教会へ納骨に。
骨壷をお渡ししたのはお母さんだったんですけど、それまで泣き顔を見せなかったお母さんが涙ぐんでた。


それは、本当に「最後、いつお母さんの泣き顔を見ただろう」と思うくらい久しく見た表情でした。


前日記で書いた介護士さんが、わざわざ拍手コメントを下さりました。
読んでて泣きました。



「まだ元気がある時、ご飯食べたくないって時期があったんです。娘さんがゼリー持ってきても嫌がってたんです。でもね、Ramiちゃんがデビューしたって事、お伝えしたら本当に目を輝かせて喜んでて、歌聴きたいなぁって言ってて、ご飯食べて元気になってコンサート行けるようにならなきゃねって、嫌いな食事を食べてくれたんです。たいていのお年寄りは年老いて、早く楽に死にたいって思うんです。苦しいし、体の自由がきかないから。そんな中、おばあちゃんにとってRamiちゃんが心の支えで希望で光だったんです。おばあちゃんはRamiちゃんの話をするときは本当にキラキラしてて、にこにこしてました。」(一部抜粋)


本当にコメント下さって、ありがとうございました。

このコメントを通して、ブログを読んで下さる方たちにおばあちゃんがいかに素晴らしい人であったかということ、命の大切さ・尊さ、生きる希望は最期まで忘れてはいけないということ、血の繋がりは関係なく、その人との一瞬一瞬を大事にしなければいけないこと…これらも含め、まだまだ沢山ありますが、そういった大切さを知ってもらいたくて、勝手ながらですが載せさせて頂きました。



私、介護士さんにお手紙を書いてお母さんからお渡ししたんです。
残るもので感謝の気持ちを伝えたくて…
お母さんに「みんな涙ぐんではったよ」と聞きました。


沢山のご老人をお相手する中で、ちゃんと私のおばあちゃんのことも見てて下さっていたのが本当に嬉しくて…


今では、おばあちゃんの体から出ていた死臭すら恋しく思いますが、私はおばあちゃんの愛情をしっかりと抱き、前に進んでいきたいと思います。


久遠と刹那は、紙一重。
その「紙」は「心」だと思います。


おばあちゃんと過ごした時間は、永遠でなく一瞬のことだったと思う。
その一瞬はこの先もずっと続く永遠の幸せだと思ってた。


肉体の温もりに触れられた時間は一瞬でも、その一瞬は物凄く長いはずなのに…物凄く短く感じる時間だった。

この先、私の肉体が滅ぶまでの時間の中も、滅んでからの時間の中も、私の心には…永遠に生き続けます。


一瞬が無数に集まれば永遠になります。
だから私は、これから過ごす一瞬一瞬を大切に永遠となれるように、生きていきたいと思います。


沢山の拍手コメントありがとうございました。
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